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母の最期

母はとても芯の強い人だった。一度決めたことは、どんなに辛くてもやり抜く力を持っていたが、考え方がちょっと後ろ向きで心配性のところがあった。

25年間介護をした父が8年前に亡くなったあと、介護疲れと落胆から身体を壊し、しばらくは後悔と愚痴ばかりの毎日だった。

でも、気持ちが後ろ向きだと、ますます身体を悪くするばかりなので、せっかく生きているんだから楽しもうよ、と私がそばで励ましつづけていたら、次第に気持ちが前向きになり、最近は韓流ドラマや野球中継などを楽しみながら、とても穏やかに過ごしていた。

80を過ぎた老人が、考え方を変えるというのは並大抵のことではないと思う。母はいくつになっても少女のような人だった。

膝が痛いので車椅子の生活だったが、そんな風に穏やかに長生きしてくれれば、と思っていたのだが、7月の終わりに車椅子のブレーキをかけ損なって転び、骨折して入院するはめになってしまった。

でも、入院した後も母はとても朗らかで元気だった。7月28日に見舞いに行ったときも、母はとても明るい声で、私に「全然心配してないよ!」と言った。だから私は手術をしてリハビリをすればまた家に帰れるものだと思っていた。

ただ、同時にとてもおかしなことも言っていた。

「変だよ!部屋の名札が私の名前じゃない。」

母には別の人の名前がはっきり見えると言うのだ。

「あそこ(天井に)緑色の蝶がとまっているよ。あなた、あんな大きな蝶が見えないの?おかしいな!」

まるで、母にはこの世の次元ではないものが見えているようだった。今思えば、あのとき母はこの世とあの世の境を自由に行き来していたのだろう。私はそのことにうすうす気づきながら、でもまさかこんなに元気な母が死ぬとは夢にも思っていなかったのだ。

その日の深夜、私は病院からの電話で起こされた。
「容態が急変したので、すぐに来てください。」

一体どうして?何があったんだ?

あまりに急な出来事に動転しながら、急いで病院に駆けつけると、母はもう意識がなく、心肺停止状態だった。看護士の話では、夜見回りに行ったときは鼾をかいて寝ていたのに、もう一度見に行ったときにはすでに心臓が止まっていたのだという。

医者と看護士が1時間ほど必死で心臓マッサージをしてやっとまた心臓が鼓動を打ち始めたが、意識は全くなく、何を言っても返事はない。

私はそのままずっと母のそばで白々と夜が明けるのを見ていた。一度だけ、なぜか母はすーっと一筋の涙を流した。

夜が明けてそのまま持ち直すかと思われたが、6時過ぎに再び心臓が止まってしまって、母はそのまま帰らぬ人となった。

 息子たちに連絡すると、二人はすぐに駆けつけてくれた。

二男は驚いたことに、こんな話をした。
「親父(元夫)が、今朝4時半頃におばあさんの夢を見たんだって。」

夢の中に母が現れて、昔の話をいろいろとして、「あのころ、もっとよくしてあげればよかった。後悔している。」と言ったので、元夫が「これから仲良くしましょう。」と言ったら、母は淋しそうに笑ったのだという。

元夫が母の夢を見たのは初めてだったので、何かあったかと思ったら、やっばりそうだったのか…と思ったそうだ。

ああ、母は亡くなる前に一番の心残りだった人のところに挨拶に言ったのだな… 

この夢は明らかに母から元夫へのメッセージだった。

夢の中には、確かにこのように、夢に出てくる人からのメッセージである場合があるものだ。

白装束を着た母の死に顔はとても安らかで、本当に美しかった。まるで白無垢を着た花嫁のようだった。きっと、久しぶりに父に会えるからなんだろう。

韓国に行ったとき、ヘウォンにこの話をしたら、「それは素晴らしい!見事な大往生だね。そんなふうに死ぬことができる人は滅多にいない。」と言っていた。

母は、亡くなる前からあの世とこの世の境を越えて意識が拡大していて、一歩踏み出したらあの世…とような感じで、ひとつも苦しまず、あっさりと見事に逝ってしまった。この世ですべきことはみんなやり尽くし、何も心配せず、何一つ悔いはない、という穏やかな表情で。母は本当に立派な人だった。

母は結局、私には何も言わずに逝ってしまった。

私の耳に残っている母の最期の言葉は、「全然心配してないよ!」だ。きっと、これが私への遺言なのだろう。

2010.9.26

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