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究極のひとりよがりのススメ    ~感性を研ぎ澄ます~

「ひとりよがり」というと、悪いイメージが先行するのではないだろうか。しかしながらこれからの時代に必要なのは、まさに「究極のひとりよがり」になることだ。

もう少しかみ砕いて言えば、「自分が感じるままに、自分がしたいように行動せよ。それが一番正しい。」ということである。

ところが世間では、このような考え方は全くと言っていいほど受け入れられていない。それでは自分勝手な輩が横行するだけだと思う人が大半なのではないだろうか。

世間では一般的に、「自己主張ばかりせず、他人の意見もよく聞く」「勝手な思いつきではなく、客観的な判断に基づいて行動する」のが正しいと思われている。そして、そのような正しい行動ができるような人間を育てるために教育というものが存在するのである。

けれども、ここでどうしてもはっきりさせておかなければならないことがある。仮に私自身が正しいことは何であるかを知らないとして、それでは一体誰が私に何が正しいかを教えてくれるのか?

博学な人が、何が正しいかを知っているわけではない。大学教授だからといって、著名な学者だからといって、本当に正しいことは何なのか、わかっているわけではない。知識というものは無限に存在するのである。真面目に研究している人なら誰でも気づくことだが、自分が知れば知るほど、知らないことはますます増えてくるものだ。知れば知るほど、自分が知らなければならないことがたくさんあることがわかってしまう。この世のあらゆる事はすべてどこかで繋がっていて、本当のことを知りたければ、実はすべてのことを知らなければならないはずなのだが、残念ながらそれは全く不可能であることは、真面目な学者なら誰でもわかる。自分が知り得ることのできる知識は、知識全体のごくごく一部でしかない。それは一面的で、ある意味「偏見」とでも言えるものでしかないのだ。だから、知識に基づいて何が本当に正しいかを知るのは、事実上不可能に等しい。

 ところで、世の中のすべてのことがどこかで繋がっていて切り離せないのと同じように、実は人間の意識も心の奥底ですべてのものとつながっている(このことは体験によってしか確認できないが)。つまり、すべての知識の根源と自分の意識の根源がつながっているということである。要するに、何が正しいかという本当の答えは自分の中にこそある、ということになる。

知識に依らない本当の答え=真実は、知性ではなく感性によって導き出される。つまり、頭ではなくハートで感じるものなのである。それは「わけもなくそんな気がする」といったような、根拠のない、実に危うい感じがするものなのだ。

だから人間は、そのようにあやふやではない、一見確かそうに見える知識のほうに頼ろうするのだ。しかしここで思い出してほしい。知識は常に一面的で、真実から程遠いのだということを。実は知識ほど頼りなく人を欺くものはない。

それでもなお、すべての人がひとりよがりになって、自分がしたいように行動したら、この世はめちゃくちゃになってしまうと思う人は多いだろう。

しかしここで大切なのは、私が勧めるのはただのひとりよがりではなく、「究極のひとりよがり」だという点である。それは、自分自身を究極的に追求する必要性を意味する。

「究極のひとりよがり」とは、「これよりあれがましだから」とか「あの人よりもいいものが欲しい」程度の表面的な欲求によって行動することではない。現代社会には、「人を殺したい」と思う人も多いようだが、彼らとて、本当に人を殺したくて、殺せば無上の幸せを感じるかと言えば、そうではない。彼らの心の奥には間違いなく別の欲求があって、それが満たされない苦しさを解消するために「人を殺したい」と思っているにすぎない。

「究極のひとりよがり」とは、そのような本当の欲求、心の底から歓びを感じること、心から快感を感じることをすることである。そのように行動していれば、それはすべての人を幸せにする力となって働く。自分自身が100%幸せだと感じるようなことをすれば、その結果として間違いなく地球全体を幸せに出来る。すべてのものは繋がっているのだから、それは当然の成り行きである。

 ただ、自分にとってそれが何であるか、見つけるのは容易ではない。現代社会においては、そのような究極的な欲求は抑え込むのが当然になってしまっているからである。現代社会ではむしろ、他人を幸せにするためには自分が我慢をしなければならないとか、犠牲にならなければならないという考え方が横行している。けれどもそれは大きな間違いだ。すべてのものはつながっているのである。一部が不幸せで全体が幸せになるなどということがあり得るだろうか?自分の手が不幸せなのに、自分は幸せなどということがあるだろうか?

だから、もしも地球全体を健康に、幸せにしたければ、自分自身にとって究極的に健康的で気持ちの良い、幸せな生活をすればいいのである(みんなが快適な生活を求めてエアコンを付ければ、地球環境は破壊されるなどと言われるかもしれないが、エアコンを付ければ、本当に心底快適さを感じることができるのか?それは山奥の沢の水で顔を洗って、木立を渡る風に吹かれる快適さには及ぶべくもないはずだ)。

 自分にとって、何が本当の幸せであるかが感じられるようになるためには、やはりそれなりの訓練が必要だ。常に自分自身を深く見つめ、自問自答する必要がある。それには努力は要らないが、勇気は必要だ。人は本当の自分の欲求を知ること、自分を完全に信頼することを極度に怖がるものだから。だから常に外に証拠や基準を求めたがる。

前にも言ったように、真実の答えは、根拠のない、実に危うい感覚としてしかもたらされない。これを信じるのは本当に勇気がいることである。けれども自分の感性を研ぎ澄ますためには、まずこれを信頼するしかないのである。

一度自分の感性を信頼してみて、あとでそれが正しかったことが現実的に証明されたとき、人はもっと深く自分を信頼できるようになる。そうすれば感性はますます研ぎ澄まされ、ますます信頼するに値するものとなる。感性とは、そのようにして育てていくものなのだ。それは完全に個人的な、ひとりよがりの作業であり、綱渡りのような勇気を必要とする道である。

だから、極言すれば、世界中のあらゆる問題を解決するために、世界情勢など知る必要はないのだ。地球温暖化を解決するために、数値目標を決めたり、気候変動を調査したりする必要もない。ただ自分自身の個人的な生活の中で、自分の完全な幸せを追求すればいいだけである。但し、一切の妥協を許さない、完全な幸せを。そして自分が完全に幸せになったとき、世界の様相が一変していることに気づくだろう。

 けれども、究極のひとりよがりの道を行く者たちは、決して孤独ではない。同じ道を行く同志がたくさんいるからである。彼らはお互いに励まし合い、助け合うことが出来る。自分の感性を研ぎ澄ます作業は自分にしかできないが、恐怖に直面して立ち往生した同志の背中を、他の人がそっと押してやるくらいの手助けはできるからだ。

 だから、自分の権威や学識を振りかざして自分が正しいと主張する人や、自分についてくれば地球は救われるなどと言う輩に惑わされるな。彼らはただ、自分の支配欲を満足させたいだけなのだ。大切なことは、自分自身の感性を信頼することである。本当に地球が救われるのは、すべての人が自分の感性を信頼し、究極のひとりよがりになれたときでしかないのだから。

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