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したいこととしなければならないこと

自分自身ほどわからないものはありません。

自分が何をしたいのか、本当にわかっている人がどれほどいるでしょうか。学生に将来の希望を聞いてみると、「実は自分が何をしたいのか、よくわからない」という答えにしばしば出くわします。自分は何のために生まれてきたのか、という問いになれば、答えられる人はごくわずかでしょう。

ご飯が食べたいなどの生理的な欲求なら簡単にわかると思うかもしれませんが、それすらも怪しいことがあります。たとえば、では何を食べたいのかと深く追求してみれば、答えられないことが多いのです。「そばが食べたい」と思う人がいたとしても、その理由を聞いてみると、「ダイエット中だから」などという答えが返ってきたりします。だとすれば、その人は本当はそばが食べたいのではなく、ステーキが食べたいのを我慢しているだけなのかもしれないのです。また、将来の希望の職種として「公務員」を選ぶ人の中には、その理由として「経済的な安定」を挙げる人がかなりいます。ならば彼らは本当は公務員ではなく、他にやりたいことがあったのに、食べて行ける自信がなくて諦めてしまっただけなのではないでしょうか。いずれの場合も「本当にしたいこと」ではなくて、「しなければならないこと」を「したい」と言っているにすぎないのです。

一体、人はどうしてこうも、自分が何をしたいのかわからなくなってしまったのでしょう。それは人が常に何かを「しなければならない」という観念に支配されているからではないでしょうか。私たちは普通、幼いときから、「したい」ことよりも「すべき」ことを優先するほうが正しいと教えられてきました。だから、「すべき」ことをせずに「したい」ことをしようとするとき、多少なりとも罪悪感を感じずにはいられません。一般的に、「したい」ことを上手に我慢できる人は立派な人だと思われがちです。それ故人は、自分が「本当にしたい」ことを押し隠し、「しなければならない」ことを「したい」のだと自分自身に言い聞かせるようになってしまったのではないでしょうか。

けれども、「本当はしたくないのに、しなければならないこと」を無理にやっていると、心の奥で「本当にしたいこと」が反発を始めるようになります。その葛藤を押さえ付けなければならないため、「しなければならないこと」に全力投球することができません。エネルギーが分散されて、自分自身が分裂してしまいます。そうなると、いくら頑張ってもエネルギーを消耗するだけで、すべてが空回りするようになります。

つまり、自分が「本当にしたい」ことは、「しなければならない」ことで押し殺すことはできないのです。むしろ、抑圧すればするほど、自分の中で反発を起こし、ストレスを生み、ついには健康を害して、「しなければならない」ことさえもできなくなってしまうものなのです。真面目な人ほど「自分の努力が足りないのだ」と考えて自分を叱咤激励して頑張ってしまうので、さらに辛い窮地に追い込まれることになります。

人が「本当にしたいこと」をしているときは、そのような葛藤はありません。心の底からやりたいことをやっているわけですから、自分自身が分裂することもないし、心の迷いもありません。だから自分の全エネルギーを注ぐことができ、頑張った分だけ着実に成果が上がるので、やりがいと達成感が味わえます。それはとても幸せな生き方です。もちろん、「本当にしたいこと」をしていればすべてが順調なわけではありません。むしろ、たくさんの困難や恐怖に直面することでしょう。けれども、そのひとつひとつに真正面からぶつかっていけば、その都度自分が大きく成長していくのを感じることができます。「しなければならないこと」をしているときには、エネルギーがどんどん消耗していきますが、「本当にしたいこと」をしているときには、逆にますますエネルギーが湧いてくるものなのです。

人は自分の身の安全を守ろうとするときに「しなければならないこと」を選択しがちです。確かに、「しなければならないこと」を優先すれば、社会的な立場や経済的な安定は守れるかもしれません。「本当にしたいこと」を優先するのはある意味では大変危険な賭だと言えるでしょう。それは、実はとても勇気がいることなのです。けれども、もしも人生に行き詰まったなら、思い切ってやってみる価値があるのではないでしょうか。

人は本来、冒険するために生まれてきたのだから。

2003.9.30

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