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「外国語勉強法」

浜崎あゆみはほとんどの歌の歌詞を日本語で書いているが、一部英語で書いたものもある。例えば、everywhere nowhereは次のような英語の歌詞で始まる。

the freedom we have
the choices we make
the sacrifices we pay
make life so complicated

彼女は発声の練習のためにしばらくアメリカにいたことがあるそうだが、おそらく学校でまともに英語を習ったことはないのではないか。にもかかわらず、英語でこのような詩が書けるのは凄いと思う。いったいどのようなインスピレーションが働いたのであろうか。

私も前夫がイギリス人で、半年ほどイギリスに住んでいたことがあるので、英語はある程度できるけれども、英語で文章を書くのは苦手だった。ところが、ある事情から必要に迫られてニュージーランドの友人に手紙を書いたときには、不思議なことに頭の中に英語がするすると湧いてきた。どこかで聞いたことはあったかもしれないが、すっかり忘れていて、一度も使ったことのないようなフレーズが次々と出てくるのである。本人の外国語の実力はどうであれ、どうしても伝えなければならないことがあるときには、100%以上の能力が発揮されるものなのだ。

だから、本当はそんなに必死になって外国語の勉強をする必要もないのだが、私も外国語を教えている立場上、外国語はどんなふうに勉強したらいいのかを考えないわけにはいかない。

そんなとき、韓国人の友人から一冊の本が送られてきた。「英語は絶対勉強するな」(韓国語版)という本である。

「勉強するな」といっても、英語なんかわからなくてもいい、と言っているわけではなくて、要するに、英語上達のためのノウハウ本である。結論を簡単に言うと、赤ん坊が母語を覚えるよう覚えればいい、ということである。至極当たり前の話だ。

赤ん坊が母語を覚えるとき、誰もその意味を教えてくれる人はいない。赤ん坊はただ、どのような状況でその言葉が使われるかをひたすら観察し、その情報量が一定の容量を満たしたとき、自分で言葉の意味を感じ取るのである。だから、赤ん坊は最初はただ、ひたすら聞いているだけである。そしてある時点が来ると、コップの水が一杯になってあふれ出すように言葉をしゃべり始めるのである。

これは考えてみれば当たり前のことである。すべての単語の意味は、お互いの関係の中で成りたっている。ということは、その言語の全体像がわからないうちにひとつの単語の意味を理解できるはずはないのだ。

この本で、絶対的に禁止されているのは、英和辞典を引くことである。使える辞典は英英辞典のみ。もちろん、それでは説明にもわからない単語がいっぱいある。でも、それもまた英英辞典で引けという。それは相当な忍耐力のいる作業だ。それでもわからない単語があれば、さらに英英辞典を引くことを繰り返していくうちに、何度か同じ単語に遭遇するようになる。あれ?これはさっきも出てきたな…と眺めているうちに、あるとき、その意味がはっきりと感じられるようになる。すると、芋蔓式にその他の単語の意味明らかになっていく。ひとつわかれば全部わかる。これが本当にわかったということなのだ。

つまり、英語の単語の意味が、日本語の訳語としてではなく、英語そのものとして頭の中に刻まれることになるのである。そうなればしめたもの。

外国語がいつまでたっても上達しない最大の理由は、外国語の単語をそのまま理解するのではなく、日本語の訳語で置き換えて理解しようとしてしまうからである。英語と日本語は、ピースの形が異なるジグソーパズルのようなものだ。似たような場所にあるピースだからといって、英語の"dog"に日本語の「犬」というピースを無理矢理押し込んでしまうと、やたらに隙間ができてしまうばかりか、ほかのピースまではまらなくなってしまう。つまり、他の単語の意味までわからなくなってしまう、ということだ。"dog"の意味を正しく把握できれば、他の単語の意味も芋蔓式にわかってくるはずなのに、「犬」の意味に置き換えて覚えてしまうから、英単語の記憶に苦労する羽目になってしまうのである。

英単語を英和辞典で調べていて「なんでこんなに意味がたくさんあるの?」と思った人も多いだろう。billという単語を引くと、「勘定書」、「請求書」、「つけ」などという訳語がならんでいる。これらは日本語では明らかに異なる単語だから、それぞれのプロトタイプ(=中心的な意味 言語学こうぎ(7)参照)を持っている。だから、billにはいろいろな意味がある、全部覚えなければならない、と思ってしまう。けれども、billは明らかに一単語で、そのプロトタイプはひとつなのである。日本語の訳語で覚えてしまうと、決してそのプロトタイプを感じることができない。

息子は、英語の宿題で単語帳を作ってこいと言われたとき、大変困っていた。「そんなこと、できるわけないよ。」ひとつの文章を提示して、このような状況では日本語では何と言うか、と言われれば答えられるけれども、たったひとつの単語だけを取り出して、対応する日本語を書くことなど不可能だ、というのである。至極正常な言語感覚だ。

つまり、単語を英和辞書で引く、とか、単語帳を暗記する、などという作業は、そもそも英語の正確な理解を阻害する行為なのだ。けれども、それが学校教育で堂々と行われている。だから日本人はいくら勉強しても英語がうまくならないのである。

ではどうしたらいいか。結論から言えば、丸暗記しかない。ただ丸暗記するのは辛いから、自分がとても好きな短編の物語をひとつ選んで、それが暗唱できるくらいに聞きまくる。全体の意味はすでにわかっているはずだから、辞書は引く必要がないだろう。そうやっていくつか暗記しているうちに、英語の全体像が見えてくるようになる。そうすれば、部分の意味がわかってくるようになり、その結果芋蔓式にすべての単語の意味がわかるというわけだ。

わからない単語が出てきても、英和辞典は引かず、あくまでも英英辞典で引く。それが辛くて、一度でも英和辞典を引いてしまうと、完成しかかっていたジグソーパズルが一気に崩れてしまう。本当に上手になりたければ、ここでくじけてはいけない。

そこで辛くなって諦めてしまうようなら、そもそも本気で英語が習いたくはなかったのだ。このやり方は「適当に習おうとする人」には通用しない。そもそも心から習いたいと思えないものを習う必要など全くない。それはその人の人生には必要のないものだから。

最近は、韓国ドラマブームに乗って韓国語を習う人が増えてきたようだ。片っ端からドラマを見ている人の中には、短期間に、韓国人かと間違えるくらい驚くほど上達する人がいる。本当は、「勉強」などしなくても、そんなふうにうまくなっていくはずなのである。

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