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Sun&Moonの日記2003
2003/12/30 (Tue) 昔の手紙
昔の手紙をみつけたので、載せてみました。
(Letters to You-Know-Whoの1997-1998の手紙)
2003/12/26 (Fri) お前が強要する限り、俺は何もしないぞ。
 「お前が強要する限り、俺は何もしないぞ。」

 これはあなたが私に言った、最後の言葉です。もう、10年近くも前のことです。それ以来何回かあなたが私に対して言葉を発したことはありましたが、それらは全てウソで固められた言葉でしたから、記憶するに値しません。私とあなたの関係は、今もあの時点で止まったままです。
 実はあのとき、私はとっさにこう言おうと思いました。

「強要なんかしていないわ。あなたが私にそうさせているだけよ。」

 でも、何かが私の口をふさいで、その言葉を言わせませんでした。おそらく、天が止めたのだと思います。今、それを言っても彼には通じない。彼が自分で気づくしかない・・・ということだったのでしょうか。
 あの時もそうだったし、それからずっと、今でも私はあなたを映す鏡です。私が変化したように見えるのは、鏡に映るあなた自身が変化したからで、私は何一つ変わっていません。
 最近になってようやく、私は自分があなたに何一つ強要していないと実感できるようになりました。それはとても喜ばしいことです。

 私はあなたを映す鏡です。
 あなたが幸せなら、私は幸せな姿を映します。
 あなたが不幸なら、私は不幸な姿を映します。
2003/12/24 (Wed) 愛の定義
愛とは制御されないエネルギーである。
2003/12/24 (Wed) 制御不能
 久しぶりに車を運転する夢を見ました。
 でも、なぜか横を見ながら運転していて、前方不注意に信号無視、何人もの人をはね飛ばして行きます。でも、ありがたいことに彼等は打ち所がいいのか怪我をしないので、全部ひき逃げです・・・
 全くひどい運転ですが、でもよく考えると、まるで今の私のようです。後先考えず、自分のエネルギーをやたらにまき散らしているのですから。

 もしかしたら、そんな私の「毒気」に当てられて病気になってしまった人がいるかもしれません。その場合の処方箋は次の通りです。どうか参考にしてください。

 人はエネルギーが落ちてくると病気になるのですが、それは自分の中に葛藤があるということを意味します。よく「過労で病気になった」などといいますが、人は本来枯渇しないエネルギーを持っているので、働きすぎて病気になることはありません。
 エネルギーの枯渇が起きる理由はただ一つ、自分の中から沸き起こるエネルギーを自分自身で押さえ込んでいるからです。それによって、自分のエネルギー同士がぶつかり合って疲弊してしまうのです。それは具体的に言えば、自分が本当にしたいことを我慢している、あるいは、本当はやりたくないことを無理してやっているということです。だから、その処方箋は次の一言に尽きます。

 「本当にやりたいことをやれ。やりたくないことはやるな。」

 私は本音丸出しで生きているので、私の「毒気」に当てられた人は、自分でも気づかなかった本音に気づいてしまうことがあります。
 世の人がみんな自分の「本音」に気づかない、あるいは気づかないふりをしているのは、それを出してしまえば今の社会で仲間はずれにされたり、自分の社会的立場が危うくなったりするからです。本音に気づかないで生きているほうが人生は安全で無難なのかもしれません。でも、それは幸せな生き方ではありませんよね。
 と言うわけで、自分の本音に気づいてしまった人は大変です。こんなものが出てきたら自分の立場が危険にさらされると感じて、それを必死で押し殺そうとします。けれども本音に一旦気づいてしまえばそれは決して隠し通すことができないので、自分と本音との格闘が始まり、それに疲れて病気になってしまいます・・・

 そんな方のために、私はこのホームページを用意しました。私の経験したいろいろなことが、少しでも苦しんでいる人の助けとなれば・・・という思いからです。

 どうか、思う存分本音を出して生きてください。そして幸せになってください。それこそが正しい生き方なのです。それこそが全ての人を幸せにできる生き方なのです。
 あなたの本音と社会がぶつかるのは、社会の方が間違っているからです。自分に自信を持って、本音で生きてください。それこそが間違った社会を変えていく力になります。

 本音を出すときに大切なことは、自分自身を完全に肯定して、エネルギーを全開にすることです。してはいけないことだと思って自分を押さえながら出すとみんなが傷つきます。沸騰しているやかんの口をふさいだら爆発するけれど、一気にふたを全開したら、暖かい湯気が立ち上るだけでしょう?それと同じです。たとえそれが怒りのエネルギーであってもです。「殴ってはいけない」と思いながら殴れば、相手は深く傷つきますが、怒りのエネルギーを全開にして相手にまっすぐぶつければ、たとえ相手が傷ついたとしても、その傷はすぐに癒えるものです。
 
2003/12/16 (Tue) 今日は
 今日は・・・
 嬉しかった出来事と言えば、いつも元気な○明が珍しくダウンして寝込んでいて、私が「愛してるよ」と言ったらにっこり笑ってくれたこと(いつもは「うるせえ!」と言うだけなのに。体調が悪いと人は妙に素直になるようです。元気なときこうならもっと嬉しいのにね!)。
 それから愛媛のみかん農家で働いている友人から、おいしいみかんがたくさん届いたこと(誕生日だと知ってたのかな?)・・・ありがとう!
2003年12月12日 06時27分26秒 本当の幸せ
 本当の幸せはあまりに大きすぎて、あまりに深すぎて、辛すぎる苦痛よりも耐え難いものなのかもしれません。
 だから人は本当の幸せを目の前にすると、苦痛に逃げてしまいたくなるのかもしれません。
 
 今まであなたが私に与えた苦痛は、なんとか独りで切り抜けることができたけれど、もしもあなたが幸せをくれるなら、あなたがしっかり抱きとめてくれなければ、私にはとても耐えられそうにありません。
 もしかしたらその幸せはあまりにも耐え難くて、私はあなたの腕の中で死んでしまいたいと思うかもしれません。

 それでもあなたが、私があなたとともに生き続けることを望むなら、私はあなたのために生きましょう。
2003/12/9 (Tue) 更新情報
「したいこととしなければならないこと」を追加しました。
2003/12/9 (Tue) イラク派兵、いや、派遣
 よく、自衛隊のイラク派遣についてどう思いますか、と質問されることがあります。そういうときは、「私なら行かない。」と答えます。

 今日は政治家がイラク派遣を決定したというニュースが飛び交っています。でも、本当に行くかどうかを決めるのは、イラクに行く当事者なのではないでしょうか。
 彼等が本心から行きたいと思うなら行けばいいし、行きたくなければ行かなければいいのです。忘れてはいけないのは、人生においてどのように生きるかの決定権は、常に自分が握っているのだということです。上が決めたことだから仕方ない、と命令に従うだけでも、「命令に従う」と決めたのは自分なのです。ですから、その責任はすべて自分が負わなければなりません。「政府がこんな決定をしたからだ」と他人のせいにして怒るのは筋違いです。
 本当は行きたくないなら、昇進を諦める覚悟で、給料を減らされる覚悟で、あるいは解雇される覚悟で「行かない」と言えばいいのです。そんなふうにみんなが「行かない」と言い出せば、政府が何を決めようと派遣は行えるはずがありません。
 上のものがいかなる命令を出そうと、実際に戦闘する兵士が「嫌だ」と言えば、決して戦争は起こらないのです。この世から戦争をなくす唯一の方法は、戦争反対を叫んだり、戦争をしない政治家の出現を待つことではなくて、我々一人一人が、自分の責任において、嫌なことは嫌だと言える勇気を持つことなのではないでしょうか。
 このことは、今渦中にある自衛隊員だけの問題ではありません。「上司の命令だから、先生に言われたから、親に言われたから仕方なく」望まない人生を生きている全ての人たちが、自分の判断で、自己責任において生きることを問われているのです。何か大きなもののいいなりになっていれば人生は安泰だった時代は終わったのです。
2003/12/6 (Sat) English
 Letters to Richard の 2002.3.2 と 2002.3.5を追加しました。これは、自叙伝の英語版です。もちろん、書いた時期と相手が違うので、内容は日本語のものと少し違います。
 誰かに英語を見てもらって直してから載せようとしたら、○明が、「へたくそな英語の方が日本人らしくていいよ。」と言うので、スペリングなどわかる範囲で少し手を入れただけで、そのまま載せてしまいました。ご勘弁を!
2003/12/6 (Sat) EMについてのインタビュー記事
 1999年に韓国のミネサから発行された、「今ここ」という雑誌の比嘉照夫博士のインタビュー記事を翻訳したものを載せました(一部)。

 EMとは、比嘉博士が開発された有用微生物群のことです。現在は世界中で農業だけでなく環境、建築、医療など幅広い分野において使われています。
 私がEMに興味を持った理由は、微生物のレベルで陰陽の調和が成立しているという点にあります。微生物にも人間の男女と同じように本当のカップルが存在すること、それらは正反対の性格を持っているが、けんかせずに互いに補い合うとき、素晴らしいエネルギーを出すこと、けれども、そのカップリングが成立するためには、仲人にあたるものが必要なこと、また、その微生物がすでに間違った相手とくっついてしまっているとき、それらを引き離すのは容易ではない(過酷な条件が必要な)ことなど、人間にもあてはまるとても貴重なお話しを聞くことができました。
 とても長い記事なので、少しずつ増やしていきます。
2003/12/6 (Sat) ありがとう
 1998年から続いていた言語学と比較言語学の授業がきのうで終わりました。なにか、一つの時代が終わったな、という気がします。
 私の話を熱心に聞いてくれたたくさんの人たちに、心から感謝したい気持ちです。私は皆さんからたくさんの勇気をもらいました。本当にありがとう!
 これからはこのホームページを通してまたいろいろな人に出会いたいと思います。
2003/12/2 (Tue) アイゴ、タッタッペ!
 昨夜とその前の晩に続けて似たような夢を見ました。
とても狭くて混んでいる電車や、小さくて身動きができない車に乗ってどこかに行こうとする夢です。とにかく息苦しくて乗ってられません。(こんなときは韓国語でアイゴ、タッタッペ!と言いたくなります!)
 今自分の人生で乗ろうとしている乗り物が小さすぎるという意味だと思うのですが、どうしたら大きな乗り物に替えられるかな?
2003/12/1 (Mon) リンク
架空鉄道サイト「嶺森電気鉄道」にリンクを貼りました。
なぜ貼ったかと言うと・・・まあ、ごらんになればわかります。
2003/11/28 (Fri) 更新
You-Know-Whoへの手紙(2001.3.19,2001.3.21)とそのほかの手紙を追加しました。
2003/11/27 (Thu) BBS
ゲストブックが不便なので掲示板に付け替えました。
Letters to the Studentsを更新しました。
2003/11/26 (Wed)2:30AM 手放す
 きのう見た夢の中で、私が誰かに
 「執着を手放せ!」
と叫んでいました。私の夢の中には、その時々に必要なメッセージが出てくることがよくあります。それで、今日は「手放す」というテーマについて書いてみることにします。

 何かが本当に欲しいとき、それを握りしめてしまうと、それにおぼれてしまったり振り回されたりして非常に辛い思いをすることになります。そのような「執着」は人生を困難にする最大の要因です。だから人はよくこう言います。「執着するな。」と。
 でも、口で言うのは簡単ですが、何かに執着している人が、実際にそれを手放すのは容易なことではありません。
 多くの場合、人は「執着しない」と言いながら、それを遠ざけようとします。見ないように、考えないようにします。けれども、「手放す」ことと「遠ざける」ことは違います。何かを遠ざければ、執着は消えるどころか、逆に心の奥深くにしつこく巣くってしまいます。一生懸命見ないようにしていられるうちはいいのですが、だんだんそれに疲れてきて、何かの拍子に表面化すると手がつけられなくなります。
 では、どうしたらいいのか。

 答えは、「自分がそれに完璧に執着することを許す」です。とことんおぼれて、とことん振り回されて、とことん傷つく覚悟を決めること。実はそれしか、執着を手放す方法はありません。それは死ぬほど痛いことですが、痛みを避けていては、問題は何一つ解決しません。けれども本当に覚悟を決めさえすれば、その痛みは一瞬で終わります。

 私の恩師がかつてこのように教えてくれました。
「人はみんな、自分が握りしめているコップを手放せばそれが消えて無くなってしまうと思っている。コップをテーブルの上に置いてごらん。ほら、コップはどこにも行かずにそこにあるじゃないか。」
2003/11/19 (Wed) 更新
「ふりはやめよう」と、Letters to the studentsを追加しました。これからも少しずつ増やしていきます。
2003/11/8 (Sat) 手紙
今までに書いた手紙の中からいくつかを集めてみました。
2003/11/7 (Fri) 巻頭言
巻頭言を追加してみました。いかがですか。
2003/11/6 (Thu) ゲストブック
ゲストブックを設定しました。お気軽にどうぞ。でも、なぜか書き込んだ日付が自動的に表示されません。お手数ですが、日付を残してください。
2003/11/5 (Wed) 自叙伝・・・
 自叙伝をupしました。これはかなり衝撃的な文章です。最初はホームページに載せるのを止めようかと思ったのですが、私という人間を理解してもらうためにはどうしても不可欠だと感じたので、思い切って載せることにしました。  実はこれは私の大切な友人に宛てた個人的な手紙です。けれども、心を込めて一生懸命書いたので、逆に多くの人に読んでもらってもいいかもしれない・・と思いました。でも、当の友人が見たらびっくりするかもしれませんね。H.K.さん、ごめんなさい!
2003/11/4 (Tue) ホームページ作成
ホームページを作りました。 と言っても、息子が手伝ってくれなければ何もできませんでしたが・・・

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