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Sun&Moonの日記2004/10
2004年10月26日 08時46分20秒 救い
「もうすべてを諦めて身一つでここに来ました。今は命があることに感謝しています。」
と、吹っ切れたような穏やかな笑顔で語る被災者の女性。

 何百億円払っても、何もかも捨てても、どんな苦労をしてでも手に入れたい、と誰もが思えるようなものが、すぐそこにかすかに見え隠れしている。それを手に入れるためだったら、今までのあらゆる悲劇など何でもなかった、と思えるような、とてつもなく素晴らしいものが。
 
 それはすべての人の手に平等に行き渡る。
 お金のある人も、ない人も、得したと思っている人も、損したと思っている人も、勝った人も、負けた人も、喜んでいる人も、悲しんでいる人も、悩みがない人も、悩んでいる人も、健康な人も、病気の人も、生きようとしている人も、死にたいと思っている人も、勤勉な人も、怠け者の人も、自分や他人を許そうとしている人も、憎んで殺したいと思っている人も、幸せな人も、不幸な人も、準備ができている人も、できていない人も。
 
2004年10月25日 08時02分25秒 フレーム
いよいよ核心が明らかになる。
そうなれば、すべての人が納得する。

みんなで絵を描きましょう。(という夢を見た。)
フレームを思いっきり綺麗に塗りましょう。
中は何を描いてもいいのですよ。
何も描かなくてもいいのです!
2004年10月24日 21時12分06秒 非日常
 被災地では、たくさんの人が一生懸命ボランティアで働いている。
 助けられる方は心から感謝をし、助ける方も、人助けができる喜びを味わう。「他人の助けになれる」というのは、本当はとても幸せなことなのだ。人々がいつもこのように助け合いながら暮らせたなら、どんなに素晴らしい世の中になるだろう。でも、普段の日常の中では、いろいろな制約に縛られて、なかなかそれを実行に移すことができない。
 洪水、地震、といった非日常の中では、あらゆる制約から自由になれるからこそ、このような助け合いができるのだ。もしかしたらそれを学ばせるために天はこのような天災を我々に与えるのかもしれない。
 ならば、我々が日常の中にあってなお、あらゆる制約から自由になる術を身に付けたなら、天はわざわざ天災を起こす必要もない。

 今日も先週に続いて落馬。馬が音楽に驚いて飛び跳ねたためだが、自分の中でも何か不安を抱えたままの騎乗だったため、それが馬にも伝わってしまったような気がする。私にはもう少し厄払いが必要らしい。
2004年10月23日 23時26分26秒 EXIT
中学校の文化祭で息子の絵を見た。
題は「Exit」。真っ暗なトンネルの入り口。暗闇の奥に小さく白い光が見えている。入り口の煉瓦はとても写実的に、丁寧に描いてある。


「あなたには出口が見えるの?」
「まあね。」
「でも、出口に辿り着く前には、真っ暗なトンネルを通らなければならないのよね。」
「うん。」
「でも、誰もトンネルに入ろうとしない。」
「俺もそう思う。ところで、この絵のどこに目が行く?」
「出口の光。」
「そうだよね!でも、みんな入り口の煉瓦が上手に描けているとしか言わないんだ。」

 暗闇と光は対立するものではない。暗闇の先に光はある。

2004年10月23日 03時59分43秒 素敵!
おとといは日本シリーズを見ていて、ちょっとほれぼれしてしまった。
「山井って素敵!」
そう思わない? ねえ、Aさん。
2004年10月23日 02時59分12秒 義務感
なんだか眠れないので、PCが呼んでいるのかなと思い、PCの前に座ってみた…

 出張先から母と電話で話した。そのとき母に問題が起きていて、私は電話口で思わず大きな声でこう叫んでしまった。
「義務感で行動するのはもうやめてよ!」
 そのとき私の近くには、まさに義務感でしか行動していないような人が何人もいた。彼らは私の言葉をどのように聞いただろうか。

 先週、研究室での話。
 その日はいくつも会議が重なっていた。私が時計を見て、「会議に行かなくちゃ。」と言ったら、そこにいた学生に即座に指摘されてしまった。
「先生、義務感で行くのはやめましょう。」
 私は苦笑しながら、
「わかった。義務感ではなく、本当に行きたいのか、よく考えてみる。」と答えて、書類を出しにエレベーターで事務室に降りていった…


 義務感で行動するのがなぜいけないのか。
 義務感で行動するときは、大抵自分の立場を守ろうとしているものである。他人に悪く思われたくない、批判されたくない、自分の給料を減らされたくない、解雇されたくない等々…
 けれども、気が進まないことを無理にやろうとしてもまともなことができる訳がない。次第にストレスが溜まって、心の奥底では「こんな生活はもうやめたい。いっそ天変地異でも起こって、すべてがひっくり返らないかな…」などと思うようになる。
 そんな思いがまわり回って、戦争や天災を引き起こす。

 そのことを知ってしまった以上、私はもう義務感で行動することはできない。そんなことをしたら、間違いなく病気になるか、ひどい目に合う。
 そして、私と縁の深い人々もまた、義務感で行動すれば痛い目に合うような体質に変わってきてしまった。それはとても辛いことではあるが、敏感で正しい感覚を身につけた、ということでもある。
 けれども、ひたすら義務感で行動していても、元気そうに見える人もいる。彼らはただ、鈍感なだけなのだ。いずれ彼らも同じ運命を辿る。


 …私が自分の中から、「行かなければならない」という思いを消し去り、再びエレベーターに乗って研究室に向かっているとき、突然、なぜか「行こう。」と思い立った。迷いはなかったので、部屋に戻って学生にそう言おうとしたら、学生が先にこう言った。
「たった今、○先生が来て、塩田先生に是非来てくれと伝えて欲しいと言っていました。先生、行った方がいいですよ。」

 義務感を消し去っても、本当にやるべきことなら、やりたくなるもの。


 
2004年10月21日 09時36分44秒 またしてもペ・ヨンジュン
夢にまたペ・ヨンジュンが登場した。
私の耳にピアスをつけてくれた。
今までピアスをしたことがなかったので、初めて耳に穴が開いてしまった…

という夢でした。
2004年10月19日 08時06分12秒 砂上の楼閣
すべての物事が根底から揺らぎ始めたのを薄々感じるからか、
自分の立場をさらに堅固なものにしようと人々は懸命だ。
たとえ足元は砂であっても、こんなに頑丈なら、なんとか持ちこたえるだろう、と。

けれども所詮は砂上の楼閣、崩れ落ちるときは、頑丈であればあるほど無惨な壊れ方をする。

むしろしなやかな裸であれば、傷つくこともない。
2004年10月18日 20時52分05秒 直感VS.論理
今日ある新聞の見出しに、「直感VS.論理」とあった。
新球団参入競争に関してである。
なるほどね、これで息子がなぜlivedoor派なのかがよくわかった。

論理的である方が、ある意味では説得力があり、安全な感じがするだろう。
直感的な判断は、しばしばその根拠が薄弱で、危険と思われがちだ。
だから、安心を求める人は、常に論理的な方を選択するだろう。

世の中が安定していて、先の予測がしやすい時代だったら、そんなふうに生きていれば無難なのかもしれない。
でも、今は違う。

これからは「予測不能」な時代だ。
不測の事態がいつでも起こりうる。
今までに一度も起きた事のない事態に直面したとき、論理は全く無力になる。
そのときは直感に頼るしかないのだ。

だから、これからはどうしても自分の直感を研ぎ澄まさなければならない。
直感を研ぎ澄ます方法はただ一つ、自分の直感を信頼する事、だけだ。

自分の中から起きてくる、全く根拠不明の感覚を信頼する。
例えば、何の理由もなく、急に何かがしたくなる、あるいはどこかに行きたくなる、あるいは、反対に、やろうと思っていた事を突然「したくなくなる」。

そんなとき、「何でこんなバカな事を考えるんだろう?」などと思わずに、自分の感覚に素直に従うことができるかどうかが鍵だ。それはとても危険な選択肢に見えることも多い。直感に従うためには、覚悟と勇気が必要だ。

でも、不思議なことに、直感というものは、信頼すればするほど、信頼に足る答えを返してくれるようになるものなのである。

だから、最初に信頼ありきなのだ。まず自分を信頼することから始めるしかない。
2004年10月18日 01時08分54秒 オークション
 生まれて初めて、オークションで買い物をした。
 それまで、オークションには全く興味がなかった私が、何気なく初めて開いてみた日に出品されたもので、私にとって、とても思い入れのある映画の吹き替え台本だった。しかも、私がそれを初めて見て、深い感銘を心に刻んだまさにその日に放映されたものだったから、これは自分と縁のある品物に違いない、と感じた。
 締切の少し前まで誰も参加して来なかったから、簡単に落とせると思ったが、やはりそうは問屋が降ろさなかった。
 競争相手が出現してからは、100円ずつではあるが、どんどん値が上がっていった。ある程度までは食い下がるつもりだったので、応戦していたのだが、あるとき、ふと、「これは出品者の関係者が値段をつり上げているのではないか」という気がした。相手にとって、私ほど思い入れのある品のようには思われなかったからである。
 それで急に値段を上げる気をなくした。ここで相手がもう100円上げてきたら、そこで降りる決意を固めていた。
 不思議な事に、それと同時に相手も競る気をなくしたらしい。結局その値段で私が競り落とす事になった。
 最初の値段からかなり上がってしまったが、それでもこの品物は私に買って欲しかったのだと思う。
 
2004年10月13日 23時23分16秒 長雨の原因は…
長雨の原因は、気圧の谷が居座っているせいらしい。
では、気圧の谷が居座っているのはなぜだろう。
それは太平洋高気圧が、離れていかないから。
じゃあ、太平洋高気圧が離れないのはなぜ??
……

どんな説明をしたところで、「それはなぜ?」と突き詰めて考えていけば、
最後は結局、「わからない」。

世の中のあらゆる事象の原因など、本当はわからないのだ。
人は、ただ表面的な理由付けをして、わかったような気になっているだけだ。

「本当は何もわからない」ということがわかったとき初めて、
すべての事象を引き起こす完璧な必然性に気付くことができる。
2004年10月11日 15時11分11秒 I'm breaking the habit.....
Linkin Parkの歌詞の一節。
結局これに尽きる。

「人に迷惑をかけないように生きましょう!」
と言う人は、世の中の人が皆自分のように控えめなら、誰もぶつかり合わなくてすむから、みんなが幸せに暮らせると考えるのでしょう。
彼らは、「自分勝手な人たち」に腹を立てる。
けれども、彼らは重大な事実を見落としています。
自分勝手な人たちを生み出しているのは、実は控えめな彼ら自身なのだということを。
彼らが控えめだから、その分だけ相手が出っ張ってくるだけなのです。
これは力学上の当然の帰結です。

山に茂るたくさんの樹木は、みな思い切り枝を伸ばしています。
当然、隣の木とぶつかります。
そこでぶつかり合いながら、伸びすぎた枝は自然に枯れて、全体の調和を生み出します。
山の木は、誰も枝がぶつからないように剪定したりしないのに、みなのびのびと健康に育っているのです。

控えめな人にとって、人に迷惑をかけることは、容易なことではありません。
それは、自が守ってきた存在価値を根底から揺るがしてしまいます。
「そんなこと、私にはできない。私は悪人になりたくない。」
だから、自分の行動パターンは変えようとせずに、相手に控えめになれ、と言うのです。
でも、彼らが相手の迷惑になるような行動に出ない限り、自分勝手な人たちは決して勝手をやめません。

結局、今までの自分の行動パターンをうち破るしかないのです。

そうなってくると、当然、自分勝手な人たちも今までの勝手を続けられなくなります。彼らもまた、自分の行動パターンの変更を迫られます。

世の中に、控えめな善人と、勝手な悪人がいる限り、この世は決して良くはなりません。
すべての人が控えめな善人になるのは不可能です。
だから、すべての人が勝手な悪人になればいいのです。
そうすれば、善悪の区別は消滅します。

我々が一番苦手なのが、習慣の打破。
今、まさにそれを迫られている。

I'm breaking the habit tonight....
2004年10月11日 08時48分05秒 自分を出す
本当の自分は出そうと思って出せるものではありません。
あらかじめ計画し、意図して出てくるものは、適当に繕われた偽物にすぎません。

むしろ、決して出すまい、絶対に出してはいけない、と思っているのに、
そう思えば思うほど、自分の中の葛藤と周りの圧迫が激しくなり、どうしようもなくなって、堪えきれずに思わず出てしまうもの。

それが本物の自分です。

でも、そうやって自分が出てしまうときには、意図して出すときとは比べものにならない爽快感があるものです。
そして、そんな自分が相手に受け入れられたら、もう最高です!

それが自分に対する本当の自信につながります。
だから、産みの苦しみというのは、やはり必要なものなのです。
それは究極の快楽の一つの形です。
2004年10月11日 00時14分52秒 宇宙人
 宇宙人の特集ばかりしているディレクターが、その理由についてこんなことを言っていた。
 「我々よりも優れた宇宙人が存在すると認めて、戦争や環境破壊を繰り返す人間が彼らの目にはどう映るだろうかと考えたら、人間はもっと謙虚に自分たちのしていることを反省できると思うんです。」
 「宇宙人」と聞いただけで、オカルトだとか、非科学的だとか非難する知識人たちよりも、よっぽどまともだと感じた。

 だからと言って、その「優れた宇宙人」に、いちいち「我々はどうしたらいいのですか。」と聞いて、彼らの言うとおりにすればいい、というわけではない。
 彼らにとって、人間を完全に支配することは、その気になれば簡単なことだ。けれども彼らが人間に望んでいるのは、自分を殺して彼らの言いなりになることではないのだ。むしろ、自分を許し、解放すること、自分自身を信頼すること、なのだ。

 多くの人が、「自立する」ことよりも「支配される」ことを好む。その方が責任がなくて、楽だからだ。何が正しいかは誰かが教えてくれて、それを忠実にこなしてさえいればいい、という人生の方が気楽でいい。そう考える人々にとって、自分自身を信頼して、人生の全責任を自分が負う覚悟を決めることは、崖から飛び降りるに等しい。
 だから難しいのだ。

 こんな話を母にしたら、
「あなた、宇宙人じゃないの?」
と言われた。


 今日(正確には昨日)は、何かぎこちなかった。馬と一体感が感じられず、馬も神経質になっていた。よくないな~と思っていたら、案の定、久々の落馬。と言っても、常歩でぽくぽく歩いていた馬がいきなり躓いて転んだため、もっともダメージの少ない落ちかただった。厄払いでもしたのかな。
2004年10月07日 23時18分31秒 とりえ
あなたのとりえは私を愛せることで、
私のとりえはあなたを受け入れられること。

二人のとりえはそれしかない。

たったそれだけ?

そう、それだけ。


確かにそれだけが人生じゃない。
けれども、その他諸々のすべてのことは、その土台の上にこそ成り立つ。
愛されることと受け入れられることによって生まれる、自分自身に対する信頼という土台がなければ、何をやっても結局は無価値に帰してしまう。

だから、他のことはすべて捨て置いて、ただ、愛して、受け入れればいい。
今はそれだけでいい。
2004年10月07日 06時51分19秒 あんまり…
 夢に、「かつて月○と同じところに住んでいた人」というのが出てきて、
あのころの彼はこうだったとか、私のことを物凄く気にしていたとか、
いろいろ話してくれたけど、
正直言って、もうあんまり興味ないんだけど…と思いながら聞いていた。
2004年10月05日 23時25分06秒
雨だ。
(他に何も書くことがない…)
2004年10月03日 22時01分54秒
ちょっと小振りの栗を茹でて食べたら、甘さといい舌触りといい、文句なしにおいしかった。
こんなに小さなものでも、これほど人を幸せにできるんだね。
きっと栗も、おいしく食べてもらえて幸せだと感じているに違いない。

私のことをこんなふうにおいしく食べてくれる人がいたら、私もきっと幸せになれるのに!
2004年10月02日 05時22分19秒 _| ̄|○
私が倒れる前には、この世のすべてを引き裂く断末魔の叫び声をあげる。
2004年10月01日 08時05分45秒 ようやく…
ようやく、自分の本当の役割、というものが見えてきて、
それが周囲にも理解され、現実的にまともに機能するようになってきたようだ。
すこしホッとした。

ところが今朝見た夢は、

家の近くの道路に、四台ぐらい連なったミサイルが置いてあって、
その周りを二機の小型の戦闘機が低空で飛行して警戒している。

ぶっそうだな…
2004年10月01日 08時03分51秒 今日のことば
あなたは何一つ間違っていない。
あなたに何か問題があるとすれば、それは自分に自信がないこと、だけだ。

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