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Sun&Moonの日記2005/3
2005年03月30日 12時04分56秒 ブログ作成
 何となくブログを作りたくなって、Livedoorにブログを作ってみました。
この日記ページもちょっと飽きたし、書いていることが重複するのもよくないので、4月からこちらを閉鎖してブログに移転します。Sun&Moonです。よろしく!
2005年03月29日 00時42分46秒 「自然と共生」?
愛・地球博で「自然と共生」っていう言葉が使われているけれど、どこか違和感を感じる。
だって人間も自然の一部じゃない?
「自然と…」というふうに、自然と人間が分離しているモノとして捉えて、自然を客観ししたら、本当の共生なんてあり得ない気がする。
自分が自然と一体であると感じられてはじめて、すべての調和が可能になるんじゃないかな。
2005年03月28日 21時55分06秒 敗戦
北朝鮮が、敗戦試合を国内で放送したらしい。
これはとても大きなニュースだと思う。
自分の中の負の部分に目を向け、それを受け入れることを最も避けてきた国だから。

嫌な自分でも、受け入れれば少しはマシになる。
欠点も見方を変えれば長所にもなり得る。
そうやって少しずつ自分が好きになっていけばいい。

挫折し、苦しみ、悩み抜いた人が、そんなふうに輝きを取り戻せたら、どれほど魅力的だろう!
2005年03月27日 11時26分30秒 早朝からずっとたくさんのカラスの鳴き声
あなたのことがどんなに怖くても、
あなたがどんなに嫌いでも、
あなたをどんなに憎んでいても、
あなたを信じる道しか私には残されていない。
2005年03月26日 12時10分05秒 無為自然
本当に「するべき」ことをしているときは、体が自然に動いて力が抜けているものだ。

先日片付けをしたときもそうだった。
朝には部屋の中にあらゆるものが散乱していたのに、それを見てうんざりすることもなく、夕方には間違いなく片付いているだろうという気がする。黙々と作業するうちにいつのまにかきれいになっていて、確かに自分で片付けたのに、全く疲れを感じないし、「自分がやった」という気すらしない。

すべてのことがこのように行われるとき、きっと世の中はうまく回るのだろう。

そのためにはまず、何かを「しなければならない」とか、「頑張らなければならない」」という思いを捨てなければならない。そして心の底から「したい」という思いが湧いてくるまで、何もしないで待つことが肝心だ。
「したい」と思えた瞬間を捉えて行動に出れば、体が自然に動き出す。

けれども「何もしない」ことは、人を不安にするものだ。
どうしても、「何もしないことはいけないことだ、何かをしなくては」と思ってしまう。(これこそが人間の原罪だ!)
だからいつも「しなければならない」ことに追いまくられるようになる。
ストレスを溜め、疲れ切ってしまう。

「何もしないで待つ」勇気を持つのは本当に難しいこと。
でも、とても大切なこと。
大丈夫。本当に「するべき」ことなら、必ず「したく」なるよ。
2005年03月25日 21時32分22秒 25カラットのダイヤモンド
 ちょっとした巡りあわせで、宝石の展示会を見物させてもらった。
今まで見たこともないような巨大なダイヤモンドのネックレスがあって、せっかくだからつけさせてもらうことにした。
 うーん。さすがに大きいだけあってパワフルだな。私に固い意志の力をくれたかも。(35,000,000円也……残念ながらあなたにはとても買えないね!)
2005年03月24日 23時33分59秒 ホリエモン
 ホリエモンの元気が無くなると、どうやら私もエネルギーが落ちてくるらしい。今日の午後あたりは結構辛かった。
 彼はその会社名の通り、何が出てくるかわからない扉を開こうとするタイプの人のようだ。けれども、世間一般には、扉を開けたらどうなるのか事前に説明されないと不安を感じる人がほとんどだ。だから計画性がないと嫌われる。こうすればこれこれこうなりますよ、と論理的に説明されれば、人は安心するのだ。でも本当は、今の論理が将来も通用する保証などどこにもない。結局最後は未知の扉を開くしかなくなる。
 お互いの思惑や利害が一致するから協力するという安易な関係は、本当のパートナーではない。ただ自分が得をしたいからくっついているだけで、自分の得にならないと思えばいつでも相手を裏切る。これに対し、敵対的な存在とパートナーになれたら、これは物凄く強力だ。互いに完全に補い合う関係になれるのだから。
 けれども、実際にそのようなパートナーシップを構築するのは大変難しい。自分を守ろうとしていたらできないからだ。一見とても危険に見える。勇気が必要だ。
 
2005年03月24日 10時53分58秒 30年以内に震度6弱以上の地震が起こる確率は…
起こる確率が高いからといって、起こるとは限らない。
起こる確率が低くくても、起こらないとは言えない。

ならば、確率を算出して一喜一憂する必要がどこにあろうか。

あらかじめ確率を知ることが無意味であると悟ったとき、人もまた、津波を予知した動物のように、何が起こるかを感じることができるようになるのだろう。
2005年03月22日 21時45分58秒 愛憎
私は今でもあなたを愛しているが、あなたがとても嫌いだし、憎んですらいる。

かつてあなたのことが本当に好きで、一点の曇りもなく愛していると言えたときもあったのに!

あのころは、「あなたは決して手の届かない存在」と諦めきっていたからこそ、あんなに無防備になれたのかもしれない。

愛する人と本気で関わりを持つことは、それほど難しいこと。
2005年03月21日 23時59分15秒 「恐怖」
 長い間しまい込んでいた不要物や大切にとっておいた手紙やらを捨てまくったら随分すっきりした。
 棚の奥から4年前に送ったメールの写しが出てきた。今でも言いたいことはほとんど変わっていないなあ。せっかくだから「手紙」の中に追加しておこう。
2005年03月20日 22時32分20秒 片付けモード
 昨日あたりから突然片付けモードに入っている。
 毎日ちょこちょこ片付けるのは苦手だが、思いっ切り散らかった後に、一気に片付けたくなるときがある。そういうときは棚の奥や引き出しの中など、部屋の隅々まできれいにしないと気が済まない。
 しばらく留守にしたり、遠くに出かけたりする前にも片付けたくなることがある。「立つ鳥跡を濁さず」というわけで…
 ひょっとして、近いうちにどこか遠くに行くことになるのかも?
2005年03月20日 14時55分45秒 大丈夫ですか?
つい先日、福岡在住の人が東京に来て、
「東京は地震があるから怖い。福岡はないから安心。」
と言っていたのに…
2005年03月17日 10時31分47秒 中から割れる?
卵の中のひよこが太りすぎて、殻にヒビさえ入っていればふぎゃっと割れそう。
2005年03月15日 22時23分24秒 マグダラのマリア
先日見た(フジテレビの!)「ダ・ヴィンチの暗号」という番組は面白かった。
マグダラのマリアとイエスの関係については私もかねがねそう思っていたので(2002.1.4)、このようなことが世の中に広く知られるようになることは大変喜ばしいことだと思う。
2005年03月14日 09時50分50秒 今日の運勢
何気なくやってみたタロット占い。

2005年 3月 14日の運勢
9番目のセフィラ(聖球)に置かれたカード XI 力(正位置)

カードの表す意味
今日のあなたは気力が充実しています。少々の困難ではへこたれることはないでしょう。この機会に、これまで後回しにしていた面倒な仕事を片付けるというのもテです。どんな相手にも毅然とした態度をとれますから、対人関係のトラブルを解決するのにももってこい。せっかくの春です。心のもやもやを一気に取り去って、うきうきした気分で過ごしましょう!

確かにそんな感じ!
2005年03月12日 17時12分44秒 息子にお伺い
「つくづく、論理的思考が感性をだめにすると感じるね。」
「そうねー。」
「でも、困ったことに、大学という場所は論理的思考を教えるところなんだよねー。どうしたらいいだろう?」
「とことん論理的思考をさせて自滅させるしかないんじゃない?それが一番の近道だよ。
結局自分で破綻しなければわからないからね。」
2005年03月12日 09時40分47秒 風船卵
相変わらずの見かけ倒しの風船状態。
つつかれれば中が空っぽであることがばれてしまう。
だからできればつつかれたくない。

ところが、全く別の次元では、それは卵。
中にいるのは頼りなさげなひよこだが、
もう殻一杯に成長し切っていて、このまま殻が割れなければ中で腐っていくしかない。

つまり風船が割れなければひよこが腐る、という構図なのだ。

風船が割れれば、今まで「これこそが自分の存在価値だ」と信じてきたことが、
全くの無価値であることを思い知らされる。
それはとんでもなく恐ろしいことだ。
けれども、風船が割れなければ、ひよこの存在に気づくことはできない。
ひよこはあなたの「本当の存在価値」。
それに気づいたら、誰でも歓喜にむせび泣くにちがいない!
そして、割れた風船のことなどどうでもよくなってしまうはずだ。
だから、本当は風船を割るのをためらう理由など、何一つないのだが…

残念ながら、私には風船を割る力がない。
私は風船をつつくピンを持っていないからだ。
私はただ「いつでも割られる」覚悟を決めて、ピンを持つ人が動くのを待つことしかできない。
2005年03月09日 00時11分08秒 巨大な風船
大きな風船にでもなった気分。
ちょっと突けばすぐに破裂しそうだ。
風船の外見は立派だが、実は中は空っぽ。
そのことにショックを受けても始まらない。
もともと何も入っていなかったのだから仕方ない。
むしろ、中が空であることを知ることが貴重な第一歩だ。
そこから全く新しい何かが生まれるかもしれない。


(今日からしばらく留守にします)
2005年03月08日 09時42分43秒 自由
あらゆるしがらみから解放された、完璧な自由。
真の幸福と安らぎの空間が、すぐそこにあるのを感じる。

ただ、どうやらそこに辿り着くためには、私にとって最も懐かしい、最も離れがたい人々との辛く悲しい別離を経験しなければならないようだ。

(最も深い悲しみと、最も深い歓びは、実は同じもの…)


「あなたの前から突然いなくなるかもしれないよ。」
と息子に言ったら、あっさり
「どうぞ!」
と言われてしまった(笑
2005年03月08日 09時38分26秒 本当は…
私はあなたの前でしか本当の自分を見せられません。
けれども、誰よりもあなたに自分を見せるのが一番怖い。

本当は
あなたの前に崩れ落ちて、ひれ伏して、
すべてのことについて、許しを乞いたいのです。

私はあなたを傷つける武器など持っていません。
ただ、とても傷つきやすいだけなのです。
2005年03月06日 23時46分18秒 Tsさん
 最近話題のTsさんは、ホッとしているのではないか、と思うのです。
 若いときから人生走りっぱなしで、人も羨む栄華を誇ってきたように見えるけれども、でも本当はちっとも幸せじゃなかった。
 晩年になって転落したように言われているけれど、実は生まれてはじめて安らぎを感じているのではないかと。「ああ、もう走らなくていいんだ!」ってね。
2005年03月06日 13時18分53秒 私は…
久しぶりによく眠れた。
別に不眠症だった訳ではないが、このところいつも何となく眠りが浅くて、ぐっすり寝たという感じではなかったから。
心の中の「何か」が緩んできたようだ。

「私は不幸だ。」と感じる。生活に困っているわけではないし、特に悩みごとがあるわけでもないが、決して幸せじゃない。幸せになりたい!という叫びが心の奥から聞こえる。

「自分は幸せじゃない」と自覚することはとても大切だと思う。
何不自由なく暮らしているのだから、幸せだと思わなければ罰が当たる、などという考え方は間違っている。
「何かが足りない。」
「何か大切なものが欠けている。」
「心から幸せを感じてみたい!」
と思い、幸せになろうとすることから本当の変化が始まるのだ。

あらゆる自由を制限されているにも拘わらず、「自分たちは幸せなんだ」と思い込まされている北朝鮮の人々のように、私たちもどこかで自分の本当の気持ちを抑え込んで現状に甘んじているのではないか。

「私は不幸だ。幸せになりたい!」
2005年03月05日 15時06分29秒 悲しいことに…
悲しいことに、人は追い詰められなければ変われない生き物なのです。
変われない、というより、殻を破れない、とでもいいましょうか。

けれども、人はみな追い詰められることを嫌がります。
できれば、追い詰められずに、「自分の意思で」「自然に」と願います。
だから追い詰められそうになると、「他人に強要するな。」とか、「自分はまだ修行が足りない。もっと時間が必要だ。」などと言ってその場を逃れようとします。

けれども、絶体絶命のピンチになってはじめて、自分の真価は発揮されるのです。
自分の殻は、火事場の馬鹿力で破るしかありません。
自分が慣れ親しんで来た殻は、それほどまでに捨てがたいものです。
それは自分にとってあまりに当然な生き方、考え方で、あまりにも自分と一体化していて「殻」であるとすら気づきません。
それを捨て去ることは、自分が死ぬことに等しいと感じます。
だから逃げ場がある限り、可能な限り、守ろうとします。
ぬるま湯の中では決して捨てられるものではありません。

誰でも本当は、殻を破りたいのです。
だから人は、殻を破らなければならないときが来ると、訳もわからず自分で自分を追い詰める行動に出てしまいます。
他人が自分を追い詰めるように仕向けます。
けれども、当の本人は、そんなことには気づきません。

彼の「頭」は最後まで殻を守ろうとして逃げ道を探します。
あらゆる論理を駆使して他人を非難します。
このような議論につき合ってもしかたありません。
彼の「頭」は真実を知りたいのではなく、ただ、殻を守る逃げ道を見つけたいだけなのですから。

こんなことを書くのは、これは私自身がかつて経験したことだからです。
私は最後まで逃げ道を見つけだそうとし、追い詰められ、死の淵を彷徨って、ようやく殻を破る勇気を振り絞ることができました。
殻を破るのがどんなに怖いことか、私自身が一番良く知っています。
そして、殻を破った後、どれほど素晴らしい変化が起きるか。
私はそのとき、すべての人がいずれは私と同じ道を辿られなければならないということを悟ったのです。

私は今殻を破ろうしている人たちにエールを送りたいのです。
逃げるな。
とことん追い詰められろ。
それでしか開けない扉があるのですよ。
2005年03月04日 10時03分22秒 腹痛
一昨日の夜あたりから、腹痛を起こしています。
何年か前にも同じようなところが傷んだことがありました。
そのときは体調を崩してかなり苦しみ、「辛い、辛い」と大騒ぎしましたが、今度はどうなるでしょうか。

前よりも随分マシになったのは、「不安がない」ということでしょう。
体の痛みは、心の奥の隠された問題を探り出すチャンスです。
痛みを感じながら、その中に深く入って行って、その根源に到達すれば、
心の奥底にある問題の根源を見極めることができます。
痛みの根が深ければ深いほど、本質的な問題が浮き彫りになります。
それを直視することさえできれば、すべてが解決するのです。

(ひょっとしてあなたもどこか病気じゃない?)
2005年03月02日 13時37分32秒 ‥‥‥
 せっかく割れ始めていた卵の殻をまたぞろ修復しようとする動きを感じる。中のひよこは以前にも増して窮屈になり、どうしようもないもどかしさで息が詰まりそうだ。
 卵がちょっと割れかけてから、また退いてしまったのは、その中にあるものがかいま見えて、それに恐れを為したからだろう。

 中にあるのは多分、自分自身に対するとてつもなく激しい怒り。

 ここまで来たら、これを見なかったことにして抑え込むのは不可能だ。全部出してしまうしかない。
 
 怒りを放出するときの大事な心得は、「迷わず全開すること。」 これに尽きる。

 沸騰している鍋のふたに亀裂が入れば爆発するが、思い切ってふたを全開してしまえば大量の湯気が立ち上るだけで爆発することはない。
2005年03月01日 10時10分28秒 危険水域
 自分の地位や身の安全が保たれているうちは、真実について、いくらでも
「わかったようなこと」が言えるだろう。

 問題は、それが自分の地位や安全を揺るがす事態にまで及んだときどうするかだ。
そのときその人の真価が問われる。

 そこで守りに入ってしまうか、それとも自分の身を危険にさらす覚悟が決められるか。
(自戒の意味も込めて)

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